自己紹介

つぶやくことなんてない

3年前,京都大学を受験した②幻の東大後期受験

 私は現在,京都大学の三回生で引きこもりをしています.(実際は3日に一回くらい家の外に出る生活ですが)

 しかし,私の運命がまかり間違って,現在は東大の4年生で引きこもりをしているといったこともあったでしょう.私の人生初めての大学受験は東京大学に捧げられました.という文章をこの前書いたところです.なんの参考にもならないと思いますが続きを.

 4年前の2月25,26日と,東京大学本郷キャンパス東京大学の前期試験を受けました.その結果は...私は東京方面へ向かう特急電車の中で見ました.東京大学の合格発表は京都大学と並んで国立大学の合格発表の中でも特に遅い日程で発表されます.確か3月10日の正午だったと覚えています.私の受験番号は,私が十分に覚悟していた通りに,ありませんでした.しかし,思っていたほどがっかりしなかったと思います.むしろ脱力感が大きく,ほとんどどんな感情であったかは覚えていません.とにかく,私は東京に向かっていました.数日後に再び東京大学の受験を控えていたからです.

 

 私が東大を受験した年は,ある種,受験業界的には特別な年であったのかも知れません.いまでこそ,国立大学の前期試験に辛くも滑ってしまった悲しき敗北者に残された道といえば,①私立大学にの入学を決める,②受験難易度的に下の後期・中期試験を受ける,③浪人を決めるくらいしかないと思いますが,なんと東京大学さんはこの期に及んでもなおエリートコースへの門戸を開き続けてくれる,本当に太っ腹な大学だったのです.当然実際は,そんなに甘くはないんですが.

 かつて東京大学にも後期試験というのがあったのです.(かつてなどというほど昔でもないですが)近頃では旧帝大などは,前期試験に落ちこぼれた若者を,共通に課される筆記試験の結果のみによって救済してくれるこの入試システムから続々と手を引いてきているようです.というのも,ほかの大学に落ちたからと仕方なく入ってくる人間をあえて受け入れることのメリットがあまりないからなのではないかと思います.特に,東大の後期を受験する人間なんてほぼ東大前期に落ちた人しかいないんじゃないかと思いますが,これでは前期の定員をその分増やすのと何ら変わりないでしょう.こういったこともあって,最近では推薦入試に力を入れているようです.東大に推薦で入れる!?とか夢のようだと思うかもしれませんが,そもそも推薦される条件が常軌を逸しているので(数学オリンピックとかの受賞実績など),こんな能力のある人たちはそもそも一般入試でも絶対受かると思うし,不確定要素の多い推薦より順当に前期を受けるだけで良いのでは?と思ってしまいますが.私のようなものが考えるような領域を超えちゃってるってことなんですかね.

 とにもかくにも,2014年度まで東京大学が実施していた後期試験というのは,文理関係なく一括で募集して上から順番に100人採り,希望の科類に入学できる(理三は対象外だったかな)というものでした.東大らしいといえば東大らしいってとこですかね.面接などはなく,国語・英語・数学のペーパテストの点数で合否が決まるものでした.(センター試験足切りのみに利用)出願時の時点では,定員100人に対して3000人という倍率になっていましたが,ほとんどは前期で合格したり,実際に受けない人もいるということもあって,受験会場にいたのは数百人程度でした.私の脳みそは脱力を極めていたので,どのような日程で会場がどこであったとかはすっかり脳内から消え落ちてしまっているようです,ですので,今覚えていることを,今後も忘れないように書きとどめておくことにします.

 前期試験の発表は3月10日の正午に東大本部とインターネット上で行われます.郵送でもいつか忘れましたがすぐ来ました.そして,不名誉ながら不合格となってしまった者に不合格通知とともに試験の採点結果が同封され,その不甲斐ない得点表が追い打ちをかけます.合格者の得点は5月くらいに開示されるらしいです.この時間差はなんなのかなあ...? さて,後期試験というのは3日後の13日に行われます.私は前期試験と後期試験を併願していましたが,前期試験に落ちたからといって,後期の受験票をすぐ送ってくれるそのようなサービスなどないので,自分で事前に受験票を採りにいかねばなりません.それを見越して私は合格発表の前から早々と地元の駅を出発し,一路,東京に向かいました.何とも言えない気持ち.同乗していた祖母に伝えるのがつらかったです.ずっと窓の外の,鉛色の空の下に広がる雪景色を眺めていました.東京駅に降り立った私はすぐさま中央線で水道橋へ,またあの宿にお世話になることになりました.宿に荷物を降ろし(今度はほとんど何も持って行かなかった.というより何を持ってゆけばいいのかわからなかった)まずは受験票を取りに本郷へ.記憶が曖昧ですが古めの建物(たぶん入試課とか)に行って手続きののち受験票を入手.私が行ったときは,他に受験者らしき人はいなかったと覚えています.近くに受験番号が張り出されているにもかかわらず,そんなことにまったく頭の回らなかった私は,宿に直帰してしまい最後の悪あがきであり,唯一の頼み綱であるところの東大後期赤本に着手しました.

 私は前期試験には理系として受験しました.前期は理系が本郷で,文系が駒場で行われますが,後期は受験者数も高々数百人なので,本郷でひっそりと行われました.会場について覚えていることといえば,ホールみたいな広い空間に全員が集まっていたこと,窓がなかったこと,私の前に座った女性の後ろ髪が長くて私の机によく干渉したこと,くらいです.男女比はそんなに偏ってはいなかったと思います.ちなみに,理科一類の試験会場は女性はほとんどいなかったと覚えています.さすが全科類一括です.試験科目の順序はしっかりと覚えていはませんが,まずは国語の試験について.

 国語の試験といっても,前期試験のような文章を読んで内容について設問に答えるというより,お題として与えられた文章について小論文を書く,という他の大学の後期試験でもあるような形式でした.ただし,理系で小論文などほとんど書いたことなかった私にはそれだけで気が滅入ることでした.おまけに私は国語が大の苦手だったのです.しかし,決まった答えがない分,その場で考えて自由に書くことができます.運が良ければこれは... 回答用紙にはマス目が書いてあり,そこに確か縦書きで文章を書いていくものでした.試験時間の2/3くらいに差し掛かったとき,どの設問にも目を通し本論を書き上げていく作業に入っていた私の目に緑色で薄く印刷された「回答用紙は縦書きで使用しなさい」という写りました.国語と言えば縦書き,なにを,これは日本人にとって至極当たり前のことですが,私の回答用紙に展開された状況とは明らかに矛盾していました.

やってしまった☆

 残された時間は30分.一応は淡い期待を抱きつつこの受験に臨んでいた私の頭の中は浪人の文字が占有しました.どれくらいそんなことを考えていたか分かりませんが,やがて回答用紙の上に90度ねじ曲がった現実と向きあうことに,せざるを得ませんでした.なんだか全部無駄になったな,と,そういう気持ちでした.私は回答用紙上に置かれた文字の行列を,転置してプロットしなおす苦行を開始しました.思考停止をして,機械的な作業を続けると2問くらいは字数が明らかに足りてないものの,一応完成させることができました.

終了

 終了でした.本当に記憶がありません.私の前に座った女の人の髪の毛なんか言い訳にできるはずがありません.無念,というかそもそも舐めすぎでした.これにつきます.数学の試験もあるのでこれで挽回できるという考えはなくはなかったと思います.この試験というのは,いわゆる受験数学とはまた違った形式で,一応文系の方でも解けるようなもの(経済学的な確率や組み合わせの問題,流通やスケジューリング的な.など,説明文の多い問題)なので,あまり理系であることのアドバンテージはなく,文章の理解能力や脳みその処理能力が試されるようなものでした.これもダメでした.英語,これが一番できたんじゃないかと思います.英語はそこまで癖のあるものではなかったと思います.

 試験が終わってからしばらくキャンパスを散歩しました.日が暮れつつありましたが完全に打ちひしがれた気分で逍遥していました.生協でお土産を買って帰ろうかとおもい,安田講堂の近くの店に因りましたが,店内に氾濫する「東大生おすすめ」,「東大〇〇」などの文字列には嫌悪感すら覚え,もやもやした気持ちのまま何も買わずに駅へ向かいました.そんな感じで虚無の春休みを過ごすことになりました.

 

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