自己紹介

つぶやくことなんてない

やっぱりね

 パソコンの読み込みが遅いから書くのをやめようかと思った.生協のパソコンなんて買っちゃだめですよ.

 

暫く存在さえ忘れていた.何故かわからないけど書いてみようと思ってパソコンに向かっています.

 

 やっぱり暇だ.定年退職したかつてのサラリーマンもこんな気持ちで長い老後を過ごすんでしょう.でも僕は7回ほどあった長期休暇のたびにこんな気持ちになっていた.早く学校はじまらないかなーと.なんて真面目な学生だこと.

 私はこの間まで,大学生としての余生を終えるための卒業研究に取り組んでいました.そして,論文提出・発表を終えた今,再び老人のような生活に戻りつつあります...卒業を目前に控えた一応の春休み,これが最後かもしれないというのに何もすることがなくて困った!一緒に卒業旅行なんて行く奴がいない.これが私の学園生活でした.

 

 今から「卒論」について書くとしよう.卒業研究というのは卒業要件の最後の単位で,言うまでもなく最も厄介な単位です.講義に出てテストを受ける.点を取る.そんな簡単なものではないです.少なくとも,僕にとってはそうでした.「研究」と「勉強」は違う.そんなことはちょっと検索すれば山ほど引っかかるワードで,検索しては読んで耳が痛かった.この20数年間振り返ってみても,僕はお勉強ができる奴でした.(でも大学受験に失敗した)なぜかそんなに勉強してないのにテストで点が取れちゃう奴.そしてその能力を大学院入試でも如何なく発揮し,晴れて卒業研究に取り掛かりました.

 

 この書き出しだと失敗談みたいになってしまっていますが,失敗というほどのことはないかもしれません.研究で得られた結果は失敗そのものでしたが.別にそんなことで周囲から怒られはしません.怒ってくれる人がいるというのは案外幸せですね.

 理系の場合は指導教員からテーマが与えられることが多いみたいですが,僕も同じようにテーマをもらい,大まかな方針(これを使ってこういうことをするというレベル,目指すべき結果と手段が示される)をいただいて,その結果の実現に当たって予想される問題を解決していくというものでした.この辺りは,分野や研究室によってかなり違いがあると思います.以降時系列で書いてくとキリがないので何がつらかったかを今思い出せることについて書いていきます.

 

①テーマを理解できない

 研究の内容を卒業論文にまとめるにあたっては,その研究の意味を理解し,説明する必要があります.現状これこれこういう問題があって,これを解決する手法として〇〇を提案する.みたいな.でもそれって,目指すべきところと手段が与えらているときに自分の言葉でそれを説明するって難しい.だってもらったものだもの...手法が示されている以上,無理やりこじつけることになりませんか.この「こじつけ」という作業に,とりかかり始めの自分はかなり悩まされました.もっと明快なストーリが想定されていて,気持ちよくそれを書き上げるということに自分は拘りすぎていました.

 そういうわけで,研究の目的はうやむやにして研究を進めて行き(特に誰にも突っ込まれなかった!)卒論提出1か月前になって,そろそろ導入部でも書くか~と思ったときにまた苦しめられました.この数か月やってきたことってなんのためだったっけと.そもそも自分は文章を書くのが苦手で,子どものころは国語の成績だけ悪い,大学のレポートも自分で見てなんだこれというのを出して可をもらっていました.

やばい,なんも書けねえ...

「卒論 書けない」「卒論 やばい」「卒論 ゴミ」などと検索し,精神の安定を図る.結構,この時期に見てたブログが励みになって寝る前だけは心を落ち着けられました.他人がどのように卒論で苦しんできて結果,どうなったかを読むと非常に希望を感じることができました.だからこれを書いています.

 論文の最初はその研究の背景,目的などを説明する章になると思います.何も執筆にあたってこの部分から書く必要はないのですが,研究の目的をはっきりさせる,少なくとも飛躍のない文章でまとめるということを終わらせなければという強迫観念に駆られ,あーでもないこーでもないと書いては消し,1ページすら完成できないで数日を浪費しました.僕がこじつけを感じていた部分は,そもそも目的に対して与えられた手段が唐突に登場し,この部分の飛躍が大きい(ほかの手段については検討した?と心の中から突っ込みが入る)ことでした.(せんせいがいったことだから...)指導教員にこれはこじつけではないですか???とアタックする勇気もなく,うやむやにしていました.

 この問題は最終的には研究の背景以外に,手段に対する背景(この手段の背景分野がどれだけ有用で,注目されていて,どのような応用を見込めるか)というクッションを挟むことで無理やり飛躍をなくしました.飛躍のない文章を構築する手法として,別にどうってことはないことだと思いますがこの方針を考え付いたことで自分の中では,結構しっかりした流れを書くことができたと思います.

 なんやかんやでこの部分はクリアできました.原稿チェックのときにも流れに関しては特に何も言われず,ほっとした半面「なんかいってくれよ!」と思ったのも事実です.怒られたくないけど怒ってほしい.自分が子供のように思えます.そもそも研究に正解はないと,これは誰しも言っていることですが,本当にその通りで先生がいいといったからその通りにするというのはもうやめるべきなんですよね.最初にテーマと手段が与えられたときに自分で十分に考えて背景だとか,研究の有用性だとか,多少こじつけでも自分で(ある程度)納得できる話をつくって自分のものにするということをしなければいけないのですが,それが自分にはできていなかったようです.そもそも3年間大学のお勉強をしてきたペーペーに手段を語らせるなんてできるわけがない,と決め込んで先生の言ったことに疑問を抱きつつも忠実にやり遂げることを目指した結果です.だからといって,先生は適当にテーマを考えているというわけではないと思います.いまでは,その手段もあながちこじつけでもないかなと思えてきました.

 

 真面目な話してるみたいで嫌になってきたのでこの辺で.僕は結局何も深刻に考えていません. 今年の抱負は「自立」とします.