自己紹介

つぶやくことなんてない

大学ってぼっちでも大丈夫なの?

 私は一浪して今の大学に入りました.3年前の春のことです.

 殺伐とした受験戦争を勝ち上がり,3月の合格発表というイベントを無事にやり過ごした世の受験生の皆さんは春休みは何をするものなんでしょうか.私はただぐうたらしていました.なぜなら,長く虚無な受験という試練を曲がりなりにも乗り越えた19歳の私に残されたのは,とてつもない脱力感,それを睡眠により消化するほかなかったからです.大した目標もなくただ大学受験というものを当面の目標としていたような人間はまあ,こうなってしまいます.来る大学生活について胸を躍らせるというよりは,つかの間の解放感に身を委ねたいという感じで,ネットで「大学生 授業」「大学生 サークル」などと検索をかけ,上から3番目くらいまで,テンプレの記事を眺めるばかりでした.実をいうと,単位がどうとか,どのように授業を受けるものなのか,自分の学科がどういう勉強をするところなのかはほとんど調べたことはありませんでした.ついに大学生になってしまったなと,1年間中途半端な身分に甘えていた自分にとっては不安な気持ちもあったものだと思います.

 そんな,大学生活という新たなる環境を目前にひかえた新入生にとっての大きな関心事は「友達できるかなあ」,これは大きいと思います.合格発表が3月上旬にあって,これ以降,サークルの新歓イベントや新入生向けの親睦を深めるための集まりが開催され,積極的な新入生は早くも華の大学生活をスタートさせます(ものと思われます.)私は大学のある京都に引っ越したのは4月頭でした.このころにも,引き続き歓イベントなどが開催されていて,ネットの記事に不安をあおられた私も勇気を出してこれに参加することにしました.私はこういうイベントは本当に苦手なのですが.コミュ障というやつです.やはりこの場でも,自分のこの性分を再確認しました.サークルの新歓イベントということもあり,上回生や新入生同士でラインを交換しました.未だにトーク履歴はないのですが.イベントはお開きとなりましたが,皆その場の流れでおしゃべりを続けているようです.こういう場面は一番困ります.この時私が思っていたのは「はよ帰りたいなあ.」おしゃべりもひと段落し,知り合った皆でご飯を食べに行くようでした.

「〇〇くんも行く?」「いや,今日はちょっとやらんなんことがあって...すんません.」

発動してしまいました.私はやはり人より一歩,遅れているようです.長い一日を終え,巣穴に戻った私はそれでもいくらかの充実感をもって,眠りについたことでしょう.長い一日でした.

 

 とまあ,私はこのレベルでコミュ障なのです.折角の厚意を断ってしまうなんて,もう手の施しようがありません.それで,私は3年間の学食を98%一人で過ごしてきました.世の中一人で飯を食うことに抵抗がある人がいるらしいですが,そんなことはとうの昔からの慣行であった私にとって不都合はありません.知り合いがいないと,そもそも気にするような人目もありません.というか,周りを見渡せばひとりで飯食ってるやつはまあまあいます.(全く交友関係がないような書き方をしましたが,少し話をする間柄の人は少しはいます.)

 大学生活での大きな目的として,「単位を取る」ということがあり,これを遂行せねばゆるふわの大学生活から抜け出すことができません.この「単位を取る」という目的は,もちろん講義にでて勉強をすれば達成できるようになっていますが,やりようによっては正攻法を避けて最小の労力でこれを乗り越えることはできます.必要なのは情報です.情報は学生同士の横のつながり(あるいは縦も)のつながりがあれば自然と入ってくるものです.人がある程度いるサークルに入ると内部で過去問が共有されるようなので入っておくと得かもしれません.ぼっち(この言葉を使うことはあまり気が進みませんが)であると一苦労がいるという話です.

 「単位を取る」ということに関しては,つながりはアドバンテージであって,ぼっちであろうが問題は全くありません.先に言いましたが,講義にでて勉強すれば何の造作もないとこです.何かの手違いが立て続けに起こることによってぼっちの大学生活を送ることになってしまった人は講義に出ましょう.家でごろごろしてるよりは多分有意義でしょう.まあ,「単位」についてはまた書きたいと思います.

 ここまでは就活も研究室にも入っていない大学三回生の体験談です.これから先にはこの状況が差し障ることもあると思いますが,少なくともこれまでは大丈夫でした.単位を取ることだけに絞って話をしました.しかし,言わなくても分かると思いますが,これは目標の一つに過ぎないということです.あらゆる意味においてです.そのために良好かつ幅広い人間関係を構築することはメリットしかないことでしょう.なぜ,自分はそれができなかった(しなかった)のか,といえばこの性分のせいでしょう.神が与えし大罪.逃れられるカルマ.これはしょうがない.人間関係の構築過程で,高校までの学校生活と異なることは,「人と一緒にいなくてもいい」ということです.大学にも「クラス」という制度はあって,自分のとこは一回生はある程度クラス単位で同じ授業を受けたり,クラスで親睦を深めるイベントがあったりもします.文化祭で模擬店をやったりなどクラスの皆で一緒に過ごし,仲を深める機会はあります.ただ,これは強制ではないのです.授業自体も一部のものを除いてはいかなくても支障はないし(このことについてはまた書きます),これまで自分がわずかながらも感じていたクラスの一体感とか,クラスに対する帰属意識が芽生えることは全くありませんでした.高校まではクラスは1日中一緒に過ごし,部活に入っていれば嫌でも毎日顔を合わせる間柄があったのですが,大学生はその部活に相当するサークルに入るかどうかは自由なのはもちろん,参加さえ強制力はないのです.(部活は少し事情が異なるようです)私のようなものがそういう環境に放り出されるとあらゆる場面において一人でいることを選択する場面が増えます.かくして,いまの私があると思います.大学生は自由なんです.

 単位を取ることは一人でもできますが,やはり友達を持っておくことで悪いことはないでしょう.私は周りの人間が楽しそうに見えます.人としゃべることは嫌いではありません.人との交流を求めて出かければ,積極的に行動しないでも,至るところにもう一歩踏み出す機会はあります.その局面では,できるだけ機会を無下にせずとりあえず乗っかってみる,それが大事なのです.これは自分に言っています.