自己紹介

つぶやくことなんてない

普通の人生か

夕食を食べてしばらく寝てしまったのでまだ眠くない。

現在深夜1時半。

 

明日は39度の予報。蝉もまだ鳴いてないのに。

気温だけ夏を出し抜いてきたみたいな。

クーラーをつけようか迷う。負けた気がして扇風機で粘る。

 

工学系の大学院を卒業してこの春からメーカーで働いている。

気づけば理系修士卒の王道コースを歩みつつある。取り立てて能のない自分だが、とりあえず大きな失敗もせずここまで来てる気もする。仕事はまだストレスがあるほどやってないが、組織で仕事をすることのめんどくささが見えてきつつある。組織は思っていた通り、それ以上に縦割りであり、仕事を進めていくうえで協力を依頼したり、情報をもらったりしていかなければならない。これまで、やれることはできるだけ自分でやってきたがとうとうここまでか。周りの人は思った以上に優しく、よくしてくれるがそれでも、できるだけ利害が生じるやりとりをしたくないものである。

特に人間関係の構築が苦手な自分がこれから大成するはずもないという予感だけは感じつつも、やれることはやろうという前向きな気持ち20%。

 

これがあと40年。

それで普通の人生か。

もう眠い。寝る。

マヨネーズ・コンプレックス

激怒.邪知暴虐.

マヨネーズが嫌いだ,という人は少数派らしい.

コンビニに行って弁当を買う.そもそも好き嫌いが多いタイプなのでだいたい左半分に肉がバーン入っていて右が白い弁当にしか手が反応しないのだが,左上にもちょこんと白いのが見えたらガッカリ.ポテトを微塵にすり潰し,邪悪な味付けを施した非情な食べ物である.弁当箱の壁でおかずと分けられているなら,まだ救いようはあるが,一緒に盛られている場合は,茶色に白がにじんで最悪である.弁当の壁にこすりつけて除去しなければ,いけない.

気分を変えてパスタにしよう.カルボナーラなどクリーム系のパスタもだいたい苦手なので,明太子かたらこパスタが救いである.久しぶりに手に取ってよく見てみると,「明太子マヨパスタ」.わざわざ,である.度を越した改悪.ありえない.陰謀だ.敗戦国の慣れの果て.無批判のアメリカナイズである.集団ス〇ーカー以外説明がつかない.脳にチップを埋め込まれています.

おにぎりでいいやと,結局明太子や昆布に流れる.こういうプロセスで食べるものを選んでいるので,自然と手に取る商品が限られる.とはいえ,人間,飽きるものである.気分を変えようと唐揚げが入ったおにぎりに,挑戦.こんなもんまずいはずがない,と購入,一口食べる.食べた瞬間,おいしい.3秒後,吐き気を催す.またやられた.中身を見てみると唐揚げに少し白がにじんでいる.やるせないと同時に怒りが込み上げる.一体,世の中の誰がこんな組み合わせを望んでいるというのか.なぜわざわざ追加でコストをかけてまで余計なものを入れて,食の幅を広げようと一歩踏み出した私のような消費者を悲しませるのか.裏面の原材料の欄にはしっかり「マヨネーズ」と書いてあるのだから私が悪いのだが,詐欺にあった気分だ.メンチカツとかコロッケが入ったパンも危険である.寿司には「わさび抜き」とかわざわざ目立つシールをつけるのだから,同様の対応を強く求める.

幼稚園くらいのころに「シンゴママ」が流行った.女装をした成人男性が歌を歌って踊りながら,白くてぼてっとしたチューブに口をつけチュチュっと吸い取る.狂気に満ちている.トラウマだ.そもそも「マヨネーズ」,「マヨ」といった文字,発音に嫌悪感を覚える.そんな言葉を繰り返して,陽気な音楽とともに私にお届けしないでくれ.何回も何回も.子供はどうせマヨネーズが好きだなんて安易な思考はやめろ.教育上,良いはずがない.ついでに言うと,白いチューブに赤い蓋をしたあのアイコン自体が苦手である.見るだけで気分が悪くなる.もうとにかくすべてが嫌いである.

といったことが私の氏に対する見解である.句読点が少々多くなってしまったかもしれない.ことあるごとにこういう気分を害したなエピソードがあったような気がするが,思いつくのはこの程度である.このような氏に対する嫌悪を日々蓄積しながら二十何年間生きてきたが,あまり共感が得られない.共感が欲しいわけでもないが.日常生活のあらゆるところにそのような危険が潜んでいて,それに対する反発の声が聞こえないのは,ひとえにこういう人が少数派だからである.誰か教えてください.あの,口に含んだ瞬間に嗚咽を誘発する作用について.私にコンビニ食の選択肢をください.

こんな文章を書いている場合ではない.今日は18時間くらいを睡眠に費やしてしまった.やるべきことを終わらせねば,とパソコンを開いたものの,こんなことにまた小一時間費やしてしまうようでは先が思いやられる.

自己分析はNGワードです

 自分の長所を20文字以内で書く必要に迫られている.20文字だから最低でも一つ書けばよいのだが,それがどうにもかけずに何十倍もの文章を今ここに書いている.

 「ES 長所」で検索しよう.現代人の悪い癖である.大手人材会社のサイトには迷える就活生のためにご丁寧な指南がある.これを自分になんとか適用するしかあるまい.「忍耐力がある」「素直」「行動が早い」云々.「忍耐力がない」「素直じゃない」「行動が遅い」云々.全部否定語に直せば素直に受け入れられるのだが...

 おそらく,この手の質問は多くの人が同じ状況に陥るのではないか.だからこそそういうサイトが設けられているのだ.そう思いたい.なまじ優秀な大学に通ったせいか,他人の有能さに驚いてばかりだ.普段から他人に対してこういう見方をしている時点で嫌になるのだが,だいたい自分とおんなじレベルの考え,行動を持っているだろうと評価していた人でも,ある瞬間に自分が想像もつかないような考えを出したり,とてつもない思慮深さを見せたり,驚くべき一芸を持っていたりする.そのたびに自分の浅ましさを痛感するとはいかないまでも,なにか無力感を感じたりする.おろか、裏切られた気分にさえなる.考えてみればその感情が恐ろしい.彼らもこの20文字で筆を止めて,検索を頼り落胆したりするのだろうか.たぶんそうなんだと思う.自分では思ってもいないことが他の人にとってはすごいことだったりする.そういうことが自分にもあればと思うのだが.たぶんこの後のことも考えて,長所+それが現れているエピソードも考える必要があるだろう.その場の質問を凌げるきれいな嘘がつけるほど達者な言語運用能力は持ち合わせていないので,なにかエピソードを想起して考えるべきなのだと思う.しかし,そのあとには「趣味・特技」欄も控えている.手強い.もう少し時間がかかりそうだ.

 研究や就活をしている(しているのか?)と,人の話を聞いて質問する義務が発生する場面が多い.ところがなかなか手を挙げられない.というのも,些末な疑問はとめどなく生じるのだが,クリティカルでないと思って却下することが多い.なんでそんなこと聞くのとか,自分の中で重要な指摘だと思って質問しても,後でよく考えると自分の思い違いであることが多いからだ.しかし月並みなことをいうのも憚られ,結局,分かった風な,かつ聞きたくもないことを発言してしまう.自分の中の月並み事項はまず発現候補から除外される.人前で普通のことは言わない.それが第一の価値になって,そのくせ結局変な発言しかできていないという最悪なパターンだ.他人の評価を気にしている故だろうか.この期に及んで頭がいい振りをしているのは本当にあさましい.無知を晒すことは禁じられてはいないはずだ.常識の範囲内でなら.

 大学に入ってすぐの時期.この時は難関の受験戦争を突破した実績を引っ提げて,向学意欲が盛んな人が結構多かったように思う.このころ,講義でいつも前の方に座り,授業を止めてまで質問してくる人がいた.この質問というのが,なんでそんなこと聞くのとか,そんなことだいたいわかるだろと思ってしまうような内容で,当時の僕は冷笑と呆れに近い感じで彼の背中を眺めていたと思う.授業止めて迄聞くことかなあ?てなかんじで.僕が今思ったことは,自分に足りないのは彼の姿勢なんじゃないかということ.当時の僕から見れば彼の質問は些末で理解不足の露呈だったと記憶しているが,彼は衆人の前で無知を晒すことによって,自分の知らなかったことを知り,着実に成長していた.その行動は彼にとって確実にプラスに働いていた.おっと,この話,月並みだな.却下.結局大したことは言えない.予防線である.

でもこの話に関してはそういう,少し「自分勝手」なことをもう少しやるべきなのかなあなんて考えたり.

もちろん,常識の範囲内で.

無為

 久しぶりにログイン.現在,大学院修士課程1年.来年また卒業論文を書かなくてはいけない.でもこのごろ何もやる気が起きない.研究が分からない.この一年間の進捗は特にない.でもべつに怒られもしない.就活をしなければいけない.起きている時間が惜しい.だから適当な文章でも書いてみようかと思って夜中に煙草を買ってきてぷかぷかとしていたら5時になっていた.

 煙草について書いてみようと思う.そもそもなんで煙草なんか吸うようになったんだろうか.我ながら百害あって一利もないと思うし,どんどん世の中が禁煙の方向に向かっているのもすごく理解できるしいい傾向だと思う.去年久しぶりに吉田キャンパスに行ったとき,いつも授業の合間に時間をつぶしていた,時計台東の喫煙所が使えなくなっていた.それに加えて,数年前は毎日なんとなく過ごしていた吉田キャンパスがものすごくがらんとしていて,すごく物悲しい気持ちになった.でも時計台前のクスノキにたむろしている少数の学生を横目に附属図書館に向かっているとき,心が締め付けられるような思いも感じた.桂の自室に引きこもり一日の大半を睡眠に費やす生活を2年もしていると,あのころ吉田で送っていた,つまらないけど外に出て,やるべきことがあった日々が急に恋しく,自分の生活に充実感を与えていたんだなあと感じようになってしまったみたいだ.これは想像していなかった.あんまり大学とか場所に対して思い入れのない生活をしていたと思っていたんでだけどなあ.年をとるとはこういうことを言うんだろうか.

 京大生が主人公であるという森見登美彦の「四畳半神話大系」.京大出身の著名な小説家としてもう一人挙げられる,万城目学の作品は高校生の頃に鴨川ホルモー,鹿男など一通り読んで面白いと思ったのだが,この四畳半についてはルネなど京大の書籍コーナーで激推しされているものだから,大学一回生くらいの頃に手に取って少し読んだもののすぐにアレルギーを起こしたっきり控えていた.あの形式ばった,いかにもな感じの文体に気味悪さを感じてしまった.なにか気に食わないところがあったんだと思う.高校生くらいのときに読んでいればまた違ったのかもしれないが.最近,時間を持て余してアマゾンプライムビデオのホーム画面を断続的にスワイプして画面を更新していた時に,この四畳半が現れた.結構前にアニメ化しているらしく,若干アレルギーを思い出したものの,指の往復運動をやめて覗いてしまった.一気に全部見て非常に悲しい気持ちになりました.食わず嫌いしていてすいませんでした.僕が未熟だっただけみたいです.

 なんでこんなにつまらないのか.これは今住んでいる場所が悪いというよりも,現在の自分の生活にこれといった目的がないことによるものだろうと思う.ここ2年間は本当につまらない日々を送ったような気がするが,また時間がたったら懐古して懐かしむようになるだろうか.あんまりそんな気がしない.何しろイベントがないからだ.バイトもしていない.研究室にたまに行くだけ.今の生活は楽でも苦しくもなく,何も記憶に残らない.

 去年の秋ごろに,定期的に合っている古い友人と話す機会があった.場所は出町柳の鳥貴族と決まってしまっている.せっかく吉田に行くのだから,本当はもっといろんな選択肢があるはずだが,なぜかここからは抜け出せない.話はとりとめもないもので,でも友人の最近の話を聞いたりなんかして楽しかった.ここで思ったのは自分の最近の話が全くないということだ.ちょっと愕然とした.ほんとに何にもない.だからこうして慰みでブログを書くのではないか.

 煙草について書こうとしていたのだった.とりとめのないことならいくらでも書ける.この文章はあまり人に見せて楽しませることを前提にしていないのであしからず.大学一回生の秋くらいにバイトをしてみたいと思ってタウンワークを入手.塾講などコミュニケーションが求められる職種はハナから除外し,大学からほど近いコンビニに応募.面接では店長(20代中ごろ)の人に志望動機などを聞かれた.志望動機なんかあるわけがなく,でもどのくらい真面目に答えるべきか分からず,「コンビニの業務に昔から興味があった」などと訳の分からないことを真面目な感じで話し,採用.求人出してるくらいなのでまあ落ちるはずはないんですけどね.結局そこで2年半も働いていました.店長3人くらい変わったなあ… 煙草を吸いだしたのはそこの同僚(こういう言い方が正しいのか)に吸ってる人が結構多くてそれでいつの間にかという感じです.もう書くの飽きてきた.それ以来,しばらく普通に喫煙者として生活していたんですが,どうものどが痛いことがあったり,それが急に不安になって医者に診てもらったりして少しずつやめた方がいいんじゃないかと思うようになってきました.そして一年前くらいに禁煙しようと思い立ってやめてみたことがありました.別に自分はいつでも辞められると思っていたので,一箱吸い終わって,買いに行くかここできっぱりやめるか10秒ぐらい悩んだ後に,いつでもやめれるから,ということでコンビニに出かけるということを何回も繰り返して,一度一か月くらい吸わなかったことがありました.別に体がニコチンを求めているとかは感じたことはありませんでしたが,急に生活の中に「暇」ができてしまったような感じがしました.ネットで動画を見るなり,学校の勉強するなりしているときにふと思い立って箱から取り出し,ベランダに出て煙を浮かべるというルーティンが結構生活の中でメリハリになっていたんだと思います.冬の深夜に星を眺めながら一服するのは,別に感動とか感傷があったり風情のあるものではないですが,自分の生活に充実感を与えてくれる瞬間でした.

続きが書けない.筆が止まったので終わり.毎日こんな文章でも書くことを日課にしたらいいかもしれませんが続くか分かりません.小梅太夫でもやってるらしいですよ.

やっぱりね

 パソコンの読み込みが遅いから書くのをやめようかと思った.生協のパソコンなんて買っちゃだめですよ.

 

暫く存在さえ忘れていた.何故かわからないけど書いてみようと思ってパソコンに向かっています.

 

 やっぱり暇だ.定年退職したかつてのサラリーマンもこんな気持ちで長い老後を過ごすんでしょう.でも僕は7回ほどあった長期休暇のたびにこんな気持ちになっていた.早く学校はじまらないかなーと.なんて真面目な学生だこと.

 私はこの間まで,大学生としての余生を終えるための卒業研究に取り組んでいました.そして,論文提出・発表を終えた今,再び老人のような生活に戻りつつあります...卒業を目前に控えた一応の春休み,これが最後かもしれないというのに何もすることがなくて困った!一緒に卒業旅行なんて行く奴がいない.これが私の学園生活でした.

 

 今から「卒論」について書くとしよう.卒業研究というのは卒業要件の最後の単位で,言うまでもなく最も厄介な単位です.講義に出てテストを受ける.点を取る.そんな簡単なものではないです.少なくとも,僕にとってはそうでした.「研究」と「勉強」は違う.そんなことはちょっと検索すれば山ほど引っかかるワードで,検索しては読んで耳が痛かった.この20数年間振り返ってみても,僕はお勉強ができる奴でした.(でも大学受験に失敗した)なぜかそんなに勉強してないのにテストで点が取れちゃう奴.そしてその能力を大学院入試でも如何なく発揮し,晴れて卒業研究に取り掛かりました.

 

 この書き出しだと失敗談みたいになってしまっていますが,失敗というほどのことはないかもしれません.研究で得られた結果は失敗そのものでしたが.別にそんなことで周囲から怒られはしません.怒ってくれる人がいるというのは案外幸せですね.

 理系の場合は指導教員からテーマが与えられることが多いみたいですが,僕も同じようにテーマをもらい,大まかな方針(これを使ってこういうことをするというレベル,目指すべき結果と手段が示される)をいただいて,その結果の実現に当たって予想される問題を解決していくというものでした.この辺りは,分野や研究室によってかなり違いがあると思います.以降時系列で書いてくとキリがないので何がつらかったかを今思い出せることについて書いていきます.

 

①テーマを理解できない

 研究の内容を卒業論文にまとめるにあたっては,その研究の意味を理解し,説明する必要があります.現状これこれこういう問題があって,これを解決する手法として〇〇を提案する.みたいな.でもそれって,目指すべきところと手段が与えらているときに自分の言葉でそれを説明するって難しい.だってもらったものだもの...手法が示されている以上,無理やりこじつけることになりませんか.この「こじつけ」という作業に,とりかかり始めの自分はかなり悩まされました.もっと明快なストーリが想定されていて,気持ちよくそれを書き上げるということに自分は拘りすぎていました.

 そういうわけで,研究の目的はうやむやにして研究を進めて行き(特に誰にも突っ込まれなかった!)卒論提出1か月前になって,そろそろ導入部でも書くか~と思ったときにまた苦しめられました.この数か月やってきたことってなんのためだったっけと.そもそも自分は文章を書くのが苦手で,子どものころは国語の成績だけ悪い,大学のレポートも自分で見てなんだこれというのを出して可をもらっていました.

やばい,なんも書けねえ...

「卒論 書けない」「卒論 やばい」「卒論 ゴミ」などと検索し,精神の安定を図る.結構,この時期に見てたブログが励みになって寝る前だけは心を落ち着けられました.他人がどのように卒論で苦しんできて結果,どうなったかを読むと非常に希望を感じることができました.だからこれを書いています.

 論文の最初はその研究の背景,目的などを説明する章になると思います.何も執筆にあたってこの部分から書く必要はないのですが,研究の目的をはっきりさせる,少なくとも飛躍のない文章でまとめるということを終わらせなければという強迫観念に駆られ,あーでもないこーでもないと書いては消し,1ページすら完成できないで数日を浪費しました.僕がこじつけを感じていた部分は,そもそも目的に対して与えられた手段が唐突に登場し,この部分の飛躍が大きい(ほかの手段については検討した?と心の中から突っ込みが入る)ことでした.(せんせいがいったことだから...)指導教員にこれはこじつけではないですか???とアタックする勇気もなく,うやむやにしていました.

 この問題は最終的には研究の背景以外に,手段に対する背景(この手段の背景分野がどれだけ有用で,注目されていて,どのような応用を見込めるか)というクッションを挟むことで無理やり飛躍をなくしました.飛躍のない文章を構築する手法として,別にどうってことはないことだと思いますがこの方針を考え付いたことで自分の中では,結構しっかりした流れを書くことができたと思います.

 なんやかんやでこの部分はクリアできました.原稿チェックのときにも流れに関しては特に何も言われず,ほっとした半面「なんかいってくれよ!」と思ったのも事実です.怒られたくないけど怒ってほしい.自分が子供のように思えます.そもそも研究に正解はないと,これは誰しも言っていることですが,本当にその通りで先生がいいといったからその通りにするというのはもうやめるべきなんですよね.最初にテーマと手段が与えられたときに自分で十分に考えて背景だとか,研究の有用性だとか,多少こじつけでも自分で(ある程度)納得できる話をつくって自分のものにするということをしなければいけないのですが,それが自分にはできていなかったようです.そもそも3年間大学のお勉強をしてきたペーペーに手段を語らせるなんてできるわけがない,と決め込んで先生の言ったことに疑問を抱きつつも忠実にやり遂げることを目指した結果です.だからといって,先生は適当にテーマを考えているというわけではないと思います.いまでは,その手段もあながちこじつけでもないかなと思えてきました.

 

 真面目な話してるみたいで嫌になってきたのでこの辺で.僕は結局何も深刻に考えていません. 今年の抱負は「自立」とします.