自己紹介

つぶやくことなんてない

大学生と単位②

 大学での授業は,学校が勝手に時間割を組んでくれて指定された授業に出る,という受動的なものではなく,基本的には学期の初めに自らが取りたい(取るべき)授業を登録し,時間割を自分で組むということをします.自分の取りたい授業を取って自由に時間割が組める.なんて自由なんだ!と思ってしまいますが,だからといって完全週休5日制などを採用していては,4年間で卒業まで漕ぎつことはまず出来ません.卒業するためには指定された数の単位を取らないといけませんから,これを考慮して時間割を組む必要があります.ということを念頭においても,時間割ってその内容については結構自由が利くんじゃないかと思われるかもしれません.

 これは,私が大学生の時間割について,かなり自由な印象を持っていたこともあると思いますが,現実にはそこまで自由度は高くありませんでした.自分の経験から話します.

【工学部〇〇工学科の場合】

 卒業要件は単位の数で表されると話しましたが,その中でも科目の種類によって満たすべき内訳が決められています.具体的には,

・一般教養(文科系)から20単位

・一般教養(理数系)から30単位

・語学(英語)から16単位

・語学(第二外国語)から8単位

・専門科目から50単位

・卒業研究(10単位)

などというように,この時点で自由度はそんなに高くないということが分かります.必修科目や選択必修科目(指定された授業に中から一定の単位数を満たすことが求められるもの)を採ることは絶対に避けられないものですが,他は「必修」ではないからといって多くのルートが残されているわけではありません.一般教養(理数系)や専門科目というのはどれをとっても良いというものではなく,学科やコースによって卒業要件に適用される科目というのが決まっていて,数でいうと,卒業要件の単位数に対し指定された科目が1.2倍程(体感)というほどで,指定された科目をそのまま全部取って,多少の単位を落とすくらいなら余裕で卒業できるということになります.おまけに卒業要件で指定された科目はたいてい履修登録のときにあらかじめリストアップされているので,それをそのまま受け入れればよいのです.時間割作成というのは思ったよりわくわくするものではなかったということです.

 大学4年間の学習の流れはこのようなものになります,

1回 英語,二外,数学・理科の基礎科目,般教(文科)

2回 数学・理科の基礎科目,専門科目,(実験など),般教(文科)

3回 専門科目,実験など

4回 院試/就活,卒論

あらかじめほとんど決められた時間割を順当にこなせば,1回生で語学を,2回で般教(文科系)を3回で専門科目を取り終えることになります.この中で,何を取るかを自分で考えて時間割を組んだのは般教(文科系)くらいです.一番忙しいのは1回生でした.よくがんばったものです.2回からは週一回くらいは全休を作ることができるでしょう.

 卒業要件は満たすべき単位数の下限を表すものなので,もちろんこれを超えて卒業に認められない授業を取ることは全く問題ありません.やる気があれば他学部の専門科目取ることもできます.結局私はしませんでした.

 何が言いたいかといえば,時間割というのはイチから自分で考えて組み立てていく,というものではなく,与えられたものにちょっとずつ付け加えて調整すれば卒業できるものになっているということです.自分自身でもあまりよくわからないままここまで来ましたが,このような学生でもきちんと卒業できるよう,手厚く保護されているようです.何回も言っていますが,これを裏返せばあまり自由が利くものではないということです.この点はすこしがっかりしたものです.

 

 

 

大学生と単位①

 一般的な話として,大学に入学するためにはまず入学試験を受けなければなりません.そこで出した点数が募集定員を上回っていればめでたく入学,定員よりも少しでも下に入れば入学することはできません.これは当たり前の話で,高校受験を経験してきた高校生にも理解は難しくないことと思います.

 では,大学を卒業するためには何をする必要があるのでしょうか.大学に入学すると,4年間の学校生活がまた始まるわけですが,一部の大学生には留年という運命もあり,みんながみんな4年間で卒業にたどり着けるものではありません.高校ではほとんどの人が卒業要件など意識する必要もなく,授業に出てテストを受けたりしながら3年過ごせば学校から出ていかされることになりますが,大学では卒業要件というものを満たすように授業計画を自分で建てる必要があります.この卒業要件は「単位」という,まさに数字で学習の到達度を表す単位によって示されます.具体的には,4年間で120単位を採りなさい,そうすれば卒業させてあげますよ,という感じです.

 この単位というのは,普通は自分の取りたい授業を登録して,その授業で提示された要件を満たすよう行動すれば与えられます.それぞれの学期の終わりにこの要件の充足度が100点満点によって示され,60点以上の得点を獲得していれば合格,という具合です.こういう書き方をしたのは,それぞれの授業によってその要件は様々であるからです.私が今まで受けた授業の三分の一くらいは,学期末にテストを受けて,その成績によって点数が示される,というものでした.この場合は,テストで結果を出すこと,それが唯一の条件です.つまり,授業に出席するかどうかは全く(ほとんど)関係ないというわけです.これが,大学生の生活が「自由」なイメージを生んでいるものと思います.

 とはいっても,授業に出ないと内容についてけないからテストで点数をとれないのでは,と思ってしまいますが,数回程度欠席するくらいなら全く影響はありません.特に,教科書が指定される授業であれば,教科書の内容を理解しておけばまず大丈夫でしょう.そのくらい,想像していたよりもなんてことのないことでした.過去問というものを手に入れると,もっと張り合いはなくなります.過去問というのは,授業を担当する教員が直々に公開するものではありませんが,サークルなどでデータベース化され,過年度の試験問題がどのようなものかを知ることができます.そして,これがほとんどそのまま出るということがまあまああります.この場合はもちろん,この問題の答えをだけを覚えておけば運が良かった場合は無事に単位を頂けますが,それではあまりにもリスキーです.確実に単位を取りたければ,過去問の内容が理解できるくらいには勉強しておくくらいがよいでしょう.

 ここまでは,最小の労力で単位を取得するための話です.本当に授業の出席が必要ない授業もありますが,出席を毎回取ったり不定期で取ったり,小テストを課したりする授業もあります.この場合は,たとえば出席30%,テスト70%とかいう具合に成績が付けられます.テストが70%なので,授業に出ずともテストだけ受けてほとんど完璧に答えさえすれば単位はもらえます.よっぽど自信がある場合でないとあまりお勧めはしませんが.

 かなり無責任なことを書いてしまったと思います.なぜなら,私はそのような不真面目なことをやっていないからです.授業に遅刻したり,たまに寝過ごして午前の授業を休むことはありますが,ほとんどは出席してきました.なんだかんだ怖いので進んで授業を休むという気にはなれないというのが実際のところです.しかし,3年間こんな感じで授業に出てきたからから言えることは「授業出る必要ねえな」ということです.これはやってみないと分からない感覚でしょう.

 ほとんどの授業はこんな感じで臨んでいれば単位を取ることができます.私は課題が与えられることがなければ授業の予習復習なぞしたことがありません.なので,テスト前になるとなんやこれ全然わからん!という感じで1から勉強しなおすことになります.当然こんな態度では万全の状態でテストを迎えることはできません.だいたい60%くらいの理解でテストを受けます.場合によっては40%のこともあります.私のテスト期間はたいていテストを受けた!全然解けんかった!でも終わった!夏休み突入!という感じでした.その3週間後くらいに成績が発表されます.急に不安になりつつも成績表をのぞいてみると..

「あれ,こんなできとったかな...」

もちろん授業を担当する教員に依りますが,評価はかなりゆるゆるなようです.初めての期末テスト受けたあとの1回生の夏は本当に拍子抜けしたことを覚えています.

決して参考になさらぬよう.

大学ってぼっちでも大丈夫なの?

 私は一浪して今の大学に入りました.3年前の春のことです.

 殺伐とした受験戦争を勝ち上がり,3月の合格発表というイベントを無事にやり過ごした世の受験生の皆さんは春休みは何をするものなんでしょうか.私はただぐうたらしていました.なぜなら,長く虚無な受験という試練を曲がりなりにも乗り越えた19歳の私に残されたのは,とてつもない脱力感,それを睡眠により消化するほかなかったからです.大した目標もなくただ大学受験というものを当面の目標としていたような人間はまあ,こうなってしまいます.来る大学生活について胸を躍らせるというよりは,つかの間の解放感に身を委ねたいという感じで,ネットで「大学生 授業」「大学生 サークル」などと検索をかけ,上から3番目くらいまで,テンプレの記事を眺めるばかりでした.実をいうと,単位がどうとか,どのように授業を受けるものなのか,自分の学科がどういう勉強をするところなのかはほとんど調べたことはありませんでした.ついに大学生になってしまったなと,1年間中途半端な身分に甘えていた自分にとっては不安な気持ちもあったものだと思います.

 そんな,大学生活という新たなる環境を目前にひかえた新入生にとっての大きな関心事は「友達できるかなあ」,これは大きいと思います.合格発表が3月上旬にあって,これ以降,サークルの新歓イベントや新入生向けの親睦を深めるための集まりが開催され,積極的な新入生は早くも華の大学生活をスタートさせます(ものと思われます.)私は大学のある京都に引っ越したのは4月頭でした.このころにも,引き続き歓イベントなどが開催されていて,ネットの記事に不安をあおられた私も勇気を出してこれに参加することにしました.私はこういうイベントは本当に苦手なのですが.コミュ障というやつです.やはりこの場でも,自分のこの性分を再確認しました.サークルの新歓イベントということもあり,上回生や新入生同士でラインを交換しました.未だにトーク履歴はないのですが.イベントはお開きとなりましたが,皆その場の流れでおしゃべりを続けているようです.こういう場面は一番困ります.この時私が思っていたのは「はよ帰りたいなあ.」おしゃべりもひと段落し,知り合った皆でご飯を食べに行くようでした.

「〇〇くんも行く?」「いや,今日はちょっとやらんなんことがあって...すんません.」

発動してしまいました.私はやはり人より一歩,遅れているようです.長い一日を終え,巣穴に戻った私はそれでもいくらかの充実感をもって,眠りについたことでしょう.長い一日でした.

 

 とまあ,私はこのレベルでコミュ障なのです.折角の厚意を断ってしまうなんて,もう手の施しようがありません.それで,私は3年間の学食を98%一人で過ごしてきました.世の中一人で飯を食うことに抵抗がある人がいるらしいですが,そんなことはとうの昔からの慣行であった私にとって不都合はありません.知り合いがいないと,そもそも気にするような人目もありません.というか,周りを見渡せばひとりで飯食ってるやつはまあまあいます.(全く交友関係がないような書き方をしましたが,少し話をする間柄の人は少しはいます.)

 大学生活での大きな目的として,「単位を取る」ということがあり,これを遂行せねばゆるふわの大学生活から抜け出すことができません.この「単位を取る」という目的は,もちろん講義にでて勉強をすれば達成できるようになっていますが,やりようによっては正攻法を避けて最小の労力でこれを乗り越えることはできます.必要なのは情報です.情報は学生同士の横のつながり(あるいは縦も)のつながりがあれば自然と入ってくるものです.人がある程度いるサークルに入ると内部で過去問が共有されるようなので入っておくと得かもしれません.ぼっち(この言葉を使うことはあまり気が進みませんが)であると一苦労がいるという話です.

 「単位を取る」ということに関しては,つながりはアドバンテージであって,ぼっちであろうが問題は全くありません.先に言いましたが,講義にでて勉強すれば何の造作もないとこです.何かの手違いが立て続けに起こることによってぼっちの大学生活を送ることになってしまった人は講義に出ましょう.家でごろごろしてるよりは多分有意義でしょう.まあ,「単位」についてはまた書きたいと思います.

 ここまでは就活も研究室にも入っていない大学三回生の体験談です.これから先にはこの状況が差し障ることもあると思いますが,少なくともこれまでは大丈夫でした.単位を取ることだけに絞って話をしました.しかし,言わなくても分かると思いますが,これは目標の一つに過ぎないということです.あらゆる意味においてです.そのために良好かつ幅広い人間関係を構築することはメリットしかないことでしょう.なぜ,自分はそれができなかった(しなかった)のか,といえばこの性分のせいでしょう.神が与えし大罪.逃れられるカルマ.これはしょうがない.人間関係の構築過程で,高校までの学校生活と異なることは,「人と一緒にいなくてもいい」ということです.大学にも「クラス」という制度はあって,自分のとこは一回生はある程度クラス単位で同じ授業を受けたり,クラスで親睦を深めるイベントがあったりもします.文化祭で模擬店をやったりなどクラスの皆で一緒に過ごし,仲を深める機会はあります.ただ,これは強制ではないのです.授業自体も一部のものを除いてはいかなくても支障はないし(このことについてはまた書きます),これまで自分がわずかながらも感じていたクラスの一体感とか,クラスに対する帰属意識が芽生えることは全くありませんでした.高校まではクラスは1日中一緒に過ごし,部活に入っていれば嫌でも毎日顔を合わせる間柄があったのですが,大学生はその部活に相当するサークルに入るかどうかは自由なのはもちろん,参加さえ強制力はないのです.(部活は少し事情が異なるようです)私のようなものがそういう環境に放り出されるとあらゆる場面において一人でいることを選択する場面が増えます.かくして,いまの私があると思います.大学生は自由なんです.

 単位を取ることは一人でもできますが,やはり友達を持っておくことで悪いことはないでしょう.私は周りの人間が楽しそうに見えます.人としゃべることは嫌いではありません.人との交流を求めて出かければ,積極的に行動しないでも,至るところにもう一歩踏み出す機会はあります.その局面では,できるだけ機会を無下にせずとりあえず乗っかってみる,それが大事なのです.これは自分に言っています.

3年前,京都大学を受験した③東大vs京大

 大学生の長い長い春休み.バイト増やそうかな.

 

 私は現在,京都大学の3回生です.一般的な認識として,大学三年生といえば年齢的に21歳に換算されることと思いますが,私の場合はひとつ余計に足さねばなりません.ただ,一般的にといいましたが,少なくともこの大学においては少し事情は異なります.特に肩身の狭い思いはしたことがありません.私は一度,東京大学を受験しましたが,ご縁がなかったということ(にして)で1年後に晴れてこの西の都に移り住むに至りました.京都の人に西の都とか言ったらキレられそう.

 

 滑り止めを一切受けず,東大前期・後期と受験するようなこの東大ヲタクは,かねてより感じつつあった己の非力さを目に見える形で立て続けに見せつけられ,ひどく落ち込んだかというと,かなりけろっとしていました.もう一年遊べるドンとか考えていたのかもしれません.しかし,やはりある種のトラウマを覚えたのか,東大に対する執着は一瞬で消え,涼しい顔をして予備校の志望校欄に「京都大学」と書き込みました.というか,もともと頓着などはほとんどしていなかったと思います.なぜこのような東大コンプ的な行動をしたかというと,思考停止とか見栄がほとんどであったと思います.とにかく,同じ大学をもう一回受けるのもなあという軽い理由で京大を目指すこととしました.もう一つ,決定的な理由は「東大より簡単」というものでした.京大の方に「なんで東大いかんかったん」とか聞くと,やれ「家から近い」だの「東京が好かん」だの,あたかもどちらも同じ土俵にいる前提で語られることがあります.それほど真剣に答えているわけではないかもしれませんが,この発言は何か引っかかります.もちろん,ノーベル賞だとか研究面ではその前提は正しいでしょうが,入試難易度という面においてはかなり差があると考えます.どっちの大学も受けた身としては,そんなよう軽々しく言えるなと思ってしまったり.両方の学校とも地元出身者がかなりの割合を占めることを考えると学生の能力とか,そういった点ではあまり相違ないのかもしれませんが.

 東大vs京大というテーマはメディアなどでよく取り上げられるものですが,その中身についてあまり意義のあるものを見たことはありません.二つのものを対立させて優劣を競うというのは古今東西を問わず人々の関心を引きますが,実際にその中に身を置く私にとって実感できるような話はあまりありません.よく挙げられるものとして東大は官僚養成校,京大は研究者養成校だとか,京大には変人が多いだとかなんとか,東大が官僚云々は実際にそういう面もあるものと思いますが,どうなんですかね.変人とかいうのは吉田寮のイメージによるものだと思いますが,確かに彼らは一目でそれとわかる風貌をしており,いかにも,という感じの人が多い気がします.ですが,キャンパス内を歩いている人は普通の大学生ばっかりです.格好は普通でも中身は変なのかもしれませんが,特別に他の大学と比べて多いということはないんじゃないでしょうか.へんなイメージを助長するものとして,この前まで立て看板というものが名物でしたが,今や大学当局・京都市の規制の煽りを受けて風前の灯.消えかかっています.有志が立て看板を作っては即日職員に撤去されるといういたちごっこももはややってはいないようです.

 個人的には景観保護を理由とした立て看板規制は反対です.この問題に関して全然詳しいわけではないですが,いつまで古の文化に縋り付くつもりなんだろうとは思います.別に寺社の門前町とかでもないうえに洛中でもないのになんでだろうなあ.京大での立て看板を認めると,これが例外的なものになり,一般の店舗や建造物に入りだされた広告物が順守している規制との整合性がとれないということがあるとかですかね.広告物を地味にするというのもどれほどの効果があるんだろうか.街並みをコンクリートの灰色が占めてたら余計悪い景観なんじゃないか.とにかく,その魔の手がついに京大にやってきて(今までは黙認されていた?)京大当局もそれに倣い規制を打ち出しました.看板の大きさや設置場所を指定したり,責任者を明示することなど,なんともめんどくさいことをやってくださいました.一応立て看板自体は根絶させることはしないということかもしれませんが,指定された設置場所というのはどれも前が自転車置き場となっており看板を目にとめる人はほとんどいないことでしょう.新歓期にもなるとさすがに数も増えにぎやかになりますが.

 そういえば,これは受験の話でした.志望校を京大に切り替えてもう一年勉強した私は楽々と京都大学に受かりました.ほとんど話すことはありません.退屈な一年でした.試験会場には筆記用具だけ持参していきました.

 東大か京大かで迷っている受験生はあまりいないと思いますが,基本的には国語は国語の勉強を,数学は数学の勉強を,という風にしておけばどちらでも対応できます.当たり前のことですが.両方の大学の試験をうけての感想を述べます.現代文は東大は字数制限があり,京大は実質的になかったと思いますが,個人的には東大の方がやりやすかった風に思います.いくらでも書けてしまうので.数学は京大の方が圧倒的に簡単でした.東大は回答が長くなる問題が多く解くのが面倒でした.理科は京大の方が楽.なぜなら京大は穴埋め,東大は式の説明などすべて書く必要があり時間が足りなかった.英語は京大が楽.訳だけってなんなんですか.自分が受けたときは傾向が変わってちょっとした自由英作文がでましたが,それでも圧倒的に楽.東大は時間をフルに使わないと解けなかったので非常に疲れた.リスニングが途中から始まるのもストレス.ということで,どちらでもいいなら京大が入りやすいのではないかなと思います.これは何の参考にもならないと思います.受験に成功した人の成功談ほど無意味なものはないですから.

3年前,京都大学を受験した②幻の東大後期受験

 私は現在,京都大学の三回生で引きこもりをしています.(実際は3日に一回くらい家の外に出る生活ですが)

 しかし,私の運命がまかり間違って,現在は東大の4年生で引きこもりをしているといったこともあったでしょう.私の人生初めての大学受験は東京大学に捧げられました.という文章をこの前書いたところです.なんの参考にもならないと思いますが続きを.

 4年前の2月25,26日と,東京大学本郷キャンパス東京大学の前期試験を受けました.その結果は...私は東京方面へ向かう特急電車の中で見ました.東京大学の合格発表は京都大学と並んで国立大学の合格発表の中でも特に遅い日程で発表されます.確か3月10日の正午だったと覚えています.私の受験番号は,私が十分に覚悟していた通りに,ありませんでした.しかし,思っていたほどがっかりしなかったと思います.むしろ脱力感が大きく,ほとんどどんな感情であったかは覚えていません.とにかく,私は東京に向かっていました.数日後に再び東京大学の受験を控えていたからです.

 

 私が東大を受験した年は,ある種,受験業界的には特別な年であったのかも知れません.いまでこそ,国立大学の前期試験に辛くも滑ってしまった悲しき敗北者に残された道といえば,①私立大学にの入学を決める,②受験難易度的に下の後期・中期試験を受ける,③浪人を決めるくらいしかないと思いますが,なんと東京大学さんはこの期に及んでもなおエリートコースへの門戸を開き続けてくれる,本当に太っ腹な大学だったのです.当然実際は,そんなに甘くはないんですが.

 かつて東京大学にも後期試験というのがあったのです.(かつてなどというほど昔でもないですが)近頃では旧帝大などは,前期試験に落ちこぼれた若者を,共通に課される筆記試験の結果のみによって救済してくれるこの入試システムから続々と手を引いてきているようです.というのも,ほかの大学に落ちたからと仕方なく入ってくる人間をあえて受け入れることのメリットがあまりないからなのではないかと思います.特に,東大の後期を受験する人間なんてほぼ東大前期に落ちた人しかいないんじゃないかと思いますが,これでは前期の定員をその分増やすのと何ら変わりないでしょう.こういったこともあって,最近では推薦入試に力を入れているようです.東大に推薦で入れる!?とか夢のようだと思うかもしれませんが,そもそも推薦される条件が常軌を逸しているので(数学オリンピックとかの受賞実績など),こんな能力のある人たちはそもそも一般入試でも絶対受かると思うし,不確定要素の多い推薦より順当に前期を受けるだけで良いのでは?と思ってしまいますが.私のようなものが考えるような領域を超えちゃってるってことなんですかね.

 とにもかくにも,2014年度まで東京大学が実施していた後期試験というのは,文理関係なく一括で募集して上から順番に100人採り,希望の科類に入学できる(理三は対象外だったかな)というものでした.東大らしいといえば東大らしいってとこですかね.面接などはなく,国語・英語・数学のペーパテストの点数で合否が決まるものでした.(センター試験足切りのみに利用)出願時の時点では,定員100人に対して3000人という倍率になっていましたが,ほとんどは前期で合格したり,実際に受けない人もいるということもあって,受験会場にいたのは数百人程度でした.私の脳みそは脱力を極めていたので,どのような日程で会場がどこであったとかはすっかり脳内から消え落ちてしまっているようです,ですので,今覚えていることを,今後も忘れないように書きとどめておくことにします.

 前期試験の発表は3月10日の正午に東大本部とインターネット上で行われます.郵送でもいつか忘れましたがすぐ来ました.そして,不名誉ながら不合格となってしまった者に不合格通知とともに試験の採点結果が同封され,その不甲斐ない得点表が追い打ちをかけます.合格者の得点は5月くらいに開示されるらしいです.この時間差はなんなのかなあ...? さて,後期試験というのは3日後の13日に行われます.私は前期試験と後期試験を併願していましたが,前期試験に落ちたからといって,後期の受験票をすぐ送ってくれるそのようなサービスなどないので,自分で事前に受験票を採りにいかねばなりません.それを見越して私は合格発表の前から早々と地元の駅を出発し,一路,東京に向かいました.何とも言えない気持ち.同乗していた祖母に伝えるのがつらかったです.ずっと窓の外の,鉛色の空の下に広がる雪景色を眺めていました.東京駅に降り立った私はすぐさま中央線で水道橋へ,またあの宿にお世話になることになりました.宿に荷物を降ろし(今度はほとんど何も持って行かなかった.というより何を持ってゆけばいいのかわからなかった)まずは受験票を取りに本郷へ.記憶が曖昧ですが古めの建物(たぶん入試課とか)に行って手続きののち受験票を入手.私が行ったときは,他に受験者らしき人はいなかったと覚えています.近くに受験番号が張り出されているにもかかわらず,そんなことにまったく頭の回らなかった私は,宿に直帰してしまい最後の悪あがきであり,唯一の頼み綱であるところの東大後期赤本に着手しました.

 私は前期試験には理系として受験しました.前期は理系が本郷で,文系が駒場で行われますが,後期は受験者数も高々数百人なので,本郷でひっそりと行われました.会場について覚えていることといえば,ホールみたいな広い空間に全員が集まっていたこと,窓がなかったこと,私の前に座った女性の後ろ髪が長くて私の机によく干渉したこと,くらいです.男女比はそんなに偏ってはいなかったと思います.ちなみに,理科一類の試験会場は女性はほとんどいなかったと覚えています.さすが全科類一括です.試験科目の順序はしっかりと覚えていはませんが,まずは国語の試験について.

 国語の試験といっても,前期試験のような文章を読んで内容について設問に答えるというより,お題として与えられた文章について小論文を書く,という他の大学の後期試験でもあるような形式でした.ただし,理系で小論文などほとんど書いたことなかった私にはそれだけで気が滅入ることでした.おまけに私は国語が大の苦手だったのです.しかし,決まった答えがない分,その場で考えて自由に書くことができます.運が良ければこれは... 回答用紙にはマス目が書いてあり,そこに確か縦書きで文章を書いていくものでした.試験時間の2/3くらいに差し掛かったとき,どの設問にも目を通し本論を書き上げていく作業に入っていた私の目に緑色で薄く印刷された「回答用紙は縦書きで使用しなさい」という写りました.国語と言えば縦書き,なにを,これは日本人にとって至極当たり前のことですが,私の回答用紙に展開された状況とは明らかに矛盾していました.

やってしまった☆

 残された時間は30分.一応は淡い期待を抱きつつこの受験に臨んでいた私の頭の中は浪人の文字が占有しました.どれくらいそんなことを考えていたか分かりませんが,やがて回答用紙の上に90度ねじ曲がった現実と向きあうことに,せざるを得ませんでした.なんだか全部無駄になったな,と,そういう気持ちでした.私は回答用紙上に置かれた文字の行列を,転置してプロットしなおす苦行を開始しました.思考停止をして,機械的な作業を続けると2問くらいは字数が明らかに足りてないものの,一応完成させることができました.

終了

 終了でした.本当に記憶がありません.私の前に座った女の人の髪の毛なんか言い訳にできるはずがありません.無念,というかそもそも舐めすぎでした.これにつきます.数学の試験もあるのでこれで挽回できるという考えはなくはなかったと思います.この試験というのは,いわゆる受験数学とはまた違った形式で,一応文系の方でも解けるようなもの(経済学的な確率や組み合わせの問題,流通やスケジューリング的な.など,説明文の多い問題)なので,あまり理系であることのアドバンテージはなく,文章の理解能力や脳みその処理能力が試されるようなものでした.これもダメでした.英語,これが一番できたんじゃないかと思います.英語はそこまで癖のあるものではなかったと思います.

 試験が終わってからしばらくキャンパスを散歩しました.日が暮れつつありましたが完全に打ちひしがれた気分で逍遥していました.生協でお土産を買って帰ろうかとおもい,安田講堂の近くの店に因りましたが,店内に氾濫する「東大生おすすめ」,「東大〇〇」などの文字列には嫌悪感すら覚え,もやもやした気持ちのまま何も買わずに駅へ向かいました.そんな感じで虚無の春休みを過ごすことになりました.

 

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