自己紹介

つぶやくことなんてない

3年前,京都大学を受験した③東大vs京大

 大学生の長い長い春休み.バイト増やそうかな.

 

 私は現在,京都大学の3回生です.一般的な認識として,大学三年生といえば年齢的に21歳に換算されることと思いますが,私の場合はひとつ余計に足さねばなりません.ただ,一般的にといいましたが,少なくともこの大学においては少し事情は異なります.特に肩身の狭い思いはしたことがありません.私は一度,東京大学を受験しましたが,ご縁がなかったということ(にして)で1年後に晴れてこの西の都に移り住むに至りました.京都の人に西の都とか言ったらキレられそう.

 

 滑り止めを一切受けず,東大前期・後期と受験するようなこの東大ヲタクは,かねてより感じつつあった己の非力さを目に見える形で立て続けに見せつけられ,ひどく落ち込んだかというと,かなりけろっとしていました.もう一年遊べるドンとか考えていたのかもしれません.しかし,やはりある種のトラウマを覚えたのか,東大に対する執着は一瞬で消え,涼しい顔をして予備校の志望校欄に「京都大学」と書き込みました.というか,もともと頓着などはほとんどしていなかったと思います.なぜこのような東大コンプ的な行動をしたかというと,思考停止とか見栄がほとんどであったと思います.とにかく,同じ大学をもう一回受けるのもなあという軽い理由で京大を目指すこととしました.もう一つ,決定的な理由は「東大より簡単」というものでした.京大の方に「なんで東大いかんかったん」とか聞くと,やれ「家から近い」だの「東京が好かん」だの,あたかもどちらも同じ土俵にいる前提で語られることがあります.それほど真剣に答えているわけではないかもしれませんが,この発言は何か引っかかります.もちろん,ノーベル賞だとか研究面ではその前提は正しいでしょうが,入試難易度という面においてはかなり差があると考えます.どっちの大学も受けた身としては,そんなよう軽々しく言えるなと思ってしまったり.両方の学校とも地元出身者がかなりの割合を占めることを考えると学生の能力とか,そういった点ではあまり相違ないのかもしれませんが.

 東大vs京大というテーマはメディアなどでよく取り上げられるものですが,その中身についてあまり意義のあるものを見たことはありません.二つのものを対立させて優劣を競うというのは古今東西を問わず人々の関心を引きますが,実際にその中に身を置く私にとって実感できるような話はあまりありません.よく挙げられるものとして東大は官僚養成校,京大は研究者養成校だとか,京大には変人が多いだとかなんとか,東大が官僚云々は実際にそういう面もあるものと思いますが,どうなんですかね.変人とかいうのは吉田寮のイメージによるものだと思いますが,確かに彼らは一目でそれとわかる風貌をしており,いかにも,という感じの人が多い気がします.ですが,キャンパス内を歩いている人は普通の大学生ばっかりです.格好は普通でも中身は変なのかもしれませんが,特別に他の大学と比べて多いということはないんじゃないでしょうか.へんなイメージを助長するものとして,この前まで立て看板というものが名物でしたが,今や大学当局・京都市の規制の煽りを受けて風前の灯.消えかかっています.有志が立て看板を作っては即日職員に撤去されるといういたちごっこももはややってはいないようです.

 個人的には景観保護を理由とした立て看板規制は反対です.この問題に関して全然詳しいわけではないですが,いつまで古の文化に縋り付くつもりなんだろうとは思います.別に寺社の門前町とかでもないうえに洛中でもないのになんでだろうなあ.京大での立て看板を認めると,これが例外的なものになり,一般の店舗や建造物に入りだされた広告物が順守している規制との整合性がとれないということがあるとかですかね.広告物を地味にするというのもどれほどの効果があるんだろうか.街並みをコンクリートの灰色が占めてたら余計悪い景観なんじゃないか.とにかく,その魔の手がついに京大にやってきて(今までは黙認されていた?)京大当局もそれに倣い規制を打ち出しました.看板の大きさや設置場所を指定したり,責任者を明示することなど,なんともめんどくさいことをやってくださいました.一応立て看板自体は根絶させることはしないということかもしれませんが,指定された設置場所というのはどれも前が自転車置き場となっており看板を目にとめる人はほとんどいないことでしょう.新歓期にもなるとさすがに数も増えにぎやかになりますが.

 そういえば,これは受験の話でした.志望校を京大に切り替えてもう一年勉強した私は楽々と京都大学に受かりました.ほとんど話すことはありません.退屈な一年でした.試験会場には筆記用具だけ持参していきました.

 東大か京大かで迷っている受験生はあまりいないと思いますが,基本的には国語は国語の勉強を,数学は数学の勉強を,という風にしておけばどちらでも対応できます.当たり前のことですが.両方の大学の試験をうけての感想を述べます.現代文は東大は字数制限があり,京大は実質的になかったと思いますが,個人的には東大の方がやりやすかった風に思います.いくらでも書けてしまうので.数学は京大の方が圧倒的に簡単でした.東大は回答が長くなる問題が多く解くのが面倒でした.理科は京大の方が楽.なぜなら京大は穴埋め,東大は式の説明などすべて書く必要があり時間が足りなかった.英語は京大が楽.訳だけってなんなんですか.自分が受けたときは傾向が変わってちょっとした自由英作文がでましたが,それでも圧倒的に楽.東大は時間をフルに使わないと解けなかったので非常に疲れた.リスニングが途中から始まるのもストレス.ということで,どちらでもいいなら京大が入りやすいのではないかなと思います.これは何の参考にもならないと思います.受験に成功した人の成功談ほど無意味なものはないですから.

3年前,京都大学を受験した②幻の東大後期受験

 私は現在,京都大学の三回生で引きこもりをしています.(実際は3日に一回くらい家の外に出る生活ですが)

 しかし,私の運命がまかり間違って,現在は東大の4年生で引きこもりをしているといったこともあったでしょう.私の人生初めての大学受験は東京大学に捧げられました.という文章をこの前書いたところです.なんの参考にもならないと思いますが続きを.

 4年前の2月25,26日と,東京大学本郷キャンパス東京大学の前期試験を受けました.その結果は...私は東京方面へ向かう特急電車の中で見ました.東京大学の合格発表は京都大学と並んで国立大学の合格発表の中でも特に遅い日程で発表されます.確か3月10日の正午だったと覚えています.私の受験番号は,私が十分に覚悟していた通りに,ありませんでした.しかし,思っていたほどがっかりしなかったと思います.むしろ脱力感が大きく,ほとんどどんな感情であったかは覚えていません.とにかく,私は東京に向かっていました.数日後に再び東京大学の受験を控えていたからです.

 

 私が東大を受験した年は,ある種,受験業界的には特別な年であったのかも知れません.いまでこそ,国立大学の前期試験に辛くも滑ってしまった悲しき敗北者に残された道といえば,①私立大学にの入学を決める,②受験難易度的に下の後期・中期試験を受ける,③浪人を決めるくらいしかないと思いますが,なんと東京大学さんはこの期に及んでもなおエリートコースへの門戸を開き続けてくれる,本当に太っ腹な大学だったのです.当然実際は,そんなに甘くはないんですが.

 かつて東京大学にも後期試験というのがあったのです.(かつてなどというほど昔でもないですが)近頃では旧帝大などは,前期試験に落ちこぼれた若者を,共通に課される筆記試験の結果のみによって救済してくれるこの入試システムから続々と手を引いてきているようです.というのも,ほかの大学に落ちたからと仕方なく入ってくる人間をあえて受け入れることのメリットがあまりないからなのではないかと思います.特に,東大の後期を受験する人間なんてほぼ東大前期に落ちた人しかいないんじゃないかと思いますが,これでは前期の定員をその分増やすのと何ら変わりないでしょう.こういったこともあって,最近では推薦入試に力を入れているようです.東大に推薦で入れる!?とか夢のようだと思うかもしれませんが,そもそも推薦される条件が常軌を逸しているので(数学オリンピックとかの受賞実績など),こんな能力のある人たちはそもそも一般入試でも絶対受かると思うし,不確定要素の多い推薦より順当に前期を受けるだけで良いのでは?と思ってしまいますが.私のようなものが考えるような領域を超えちゃってるってことなんですかね.

 とにもかくにも,2014年度まで東京大学が実施していた後期試験というのは,文理関係なく一括で募集して上から順番に100人採り,希望の科類に入学できる(理三は対象外だったかな)というものでした.東大らしいといえば東大らしいってとこですかね.面接などはなく,国語・英語・数学のペーパテストの点数で合否が決まるものでした.(センター試験足切りのみに利用)出願時の時点では,定員100人に対して3000人という倍率になっていましたが,ほとんどは前期で合格したり,実際に受けない人もいるということもあって,受験会場にいたのは数百人程度でした.私の脳みそは脱力を極めていたので,どのような日程で会場がどこであったとかはすっかり脳内から消え落ちてしまっているようです,ですので,今覚えていることを,今後も忘れないように書きとどめておくことにします.

 前期試験の発表は3月10日の正午に東大本部とインターネット上で行われます.郵送でもいつか忘れましたがすぐ来ました.そして,不名誉ながら不合格となってしまった者に不合格通知とともに試験の採点結果が同封され,その不甲斐ない得点表が追い打ちをかけます.合格者の得点は5月くらいに開示されるらしいです.この時間差はなんなのかなあ...? さて,後期試験というのは3日後の13日に行われます.私は前期試験と後期試験を併願していましたが,前期試験に落ちたからといって,後期の受験票をすぐ送ってくれるそのようなサービスなどないので,自分で事前に受験票を採りにいかねばなりません.それを見越して私は合格発表の前から早々と地元の駅を出発し,一路,東京に向かいました.何とも言えない気持ち.同乗していた祖母に伝えるのがつらかったです.ずっと窓の外の,鉛色の空の下に広がる雪景色を眺めていました.東京駅に降り立った私はすぐさま中央線で水道橋へ,またあの宿にお世話になることになりました.宿に荷物を降ろし(今度はほとんど何も持って行かなかった.というより何を持ってゆけばいいのかわからなかった)まずは受験票を取りに本郷へ.記憶が曖昧ですが古めの建物(たぶん入試課とか)に行って手続きののち受験票を入手.私が行ったときは,他に受験者らしき人はいなかったと覚えています.近くに受験番号が張り出されているにもかかわらず,そんなことにまったく頭の回らなかった私は,宿に直帰してしまい最後の悪あがきであり,唯一の頼み綱であるところの東大後期赤本に着手しました.

 私は前期試験には理系として受験しました.前期は理系が本郷で,文系が駒場で行われますが,後期は受験者数も高々数百人なので,本郷でひっそりと行われました.会場について覚えていることといえば,ホールみたいな広い空間に全員が集まっていたこと,窓がなかったこと,私の前に座った女性の後ろ髪が長くて私の机によく干渉したこと,くらいです.男女比はそんなに偏ってはいなかったと思います.ちなみに,理科一類の試験会場は女性はほとんどいなかったと覚えています.さすが全科類一括です.試験科目の順序はしっかりと覚えていはませんが,まずは国語の試験について.

 国語の試験といっても,前期試験のような文章を読んで内容について設問に答えるというより,お題として与えられた文章について小論文を書く,という他の大学の後期試験でもあるような形式でした.ただし,理系で小論文などほとんど書いたことなかった私にはそれだけで気が滅入ることでした.おまけに私は国語が大の苦手だったのです.しかし,決まった答えがない分,その場で考えて自由に書くことができます.運が良ければこれは... 回答用紙にはマス目が書いてあり,そこに確か縦書きで文章を書いていくものでした.試験時間の2/3くらいに差し掛かったとき,どの設問にも目を通し本論を書き上げていく作業に入っていた私の目に緑色で薄く印刷された「回答用紙は縦書きで使用しなさい」という写りました.国語と言えば縦書き,なにを,これは日本人にとって至極当たり前のことですが,私の回答用紙に展開された状況とは明らかに矛盾していました.

やってしまった☆

 残された時間は30分.一応は淡い期待を抱きつつこの受験に臨んでいた私の頭の中は浪人の文字が占有しました.どれくらいそんなことを考えていたか分かりませんが,やがて回答用紙の上に90度ねじ曲がった現実と向きあうことに,せざるを得ませんでした.なんだか全部無駄になったな,と,そういう気持ちでした.私は回答用紙上に置かれた文字の行列を,転置してプロットしなおす苦行を開始しました.思考停止をして,機械的な作業を続けると2問くらいは字数が明らかに足りてないものの,一応完成させることができました.

終了

 終了でした.本当に記憶がありません.私の前に座った女の人の髪の毛なんか言い訳にできるはずがありません.無念,というかそもそも舐めすぎでした.これにつきます.数学の試験もあるのでこれで挽回できるという考えはなくはなかったと思います.この試験というのは,いわゆる受験数学とはまた違った形式で,一応文系の方でも解けるようなもの(経済学的な確率や組み合わせの問題,流通やスケジューリング的な.など,説明文の多い問題)なので,あまり理系であることのアドバンテージはなく,文章の理解能力や脳みその処理能力が試されるようなものでした.これもダメでした.英語,これが一番できたんじゃないかと思います.英語はそこまで癖のあるものではなかったと思います.

 試験が終わってからしばらくキャンパスを散歩しました.日が暮れつつありましたが完全に打ちひしがれた気分で逍遥していました.生協でお土産を買って帰ろうかとおもい,安田講堂の近くの店に因りましたが,店内に氾濫する「東大生おすすめ」,「東大〇〇」などの文字列には嫌悪感すら覚え,もやもやした気持ちのまま何も買わずに駅へ向かいました.そんな感じで虚無の春休みを過ごすことになりました.

 

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3年前,京都大学を受験した①東京大学を受験

本日は2月12日です.

国立大学の二次試験は2月25日ですね.現役のこの時期はひたすら過去問を解いていたことを思い出します.自分にとって過去問ってなんか「神聖」なるものって感じがしてなかなか手をつけられないものでした.問題集とかよりも絶対的に格上で,容易に手を付けてはいけない,万全の体調で立ち向かわなければならない.自分で書いてて意味が分からないけど,「本物」という感じ.10年前くらいから徐々に解いていって本番の1週間くらい前に,最後の最後に最新のものを初めて見て,解いて,これで俺は偉大な何かと同化して,最高の状態で本番を迎えられると思ってたんでしょうか.私はお化けとかオカルトを頭ごなしに否定する代償に権威とかいったものにめっぽう弱いのでこういったことをよくしてしまいます.しかし,こんなものに全く効果などなく,私はその3月以降,東京大学の赤門を2年くらいはくぐることはありませんでした.

以下自分語り.4年前を思い出して書きます.

 

私は一浪して京都大学に入りました.

なんでここを選んだかといえば,現役のときに東大受けて,同じ大学を受けるのがいやだったから.完全にひねくれ,イキリに聞こえますが60%くらいは本当であると思います.この動機は純粋に自分の意思といえるかは分からないけど,比較的消極的な理由です.私は権威にめっぽう弱いので,こういったことをしてしまいました.

高校三年生のときは東京大学理科一類を目指して勉強していました.高校は地方の公立学校で,部活もしつつテストの成績は良い方でした.テストがないと勉強せず,宿題は適当にやるけど,テスト前に一気に勉強してよい成績を残すタイプでした.これは昔っからそうです.そんな自分の敵は模試とか実力テストでした.定期テストはノートに書いてあることを覚えれば解けますが,模試などはそうはいかず,また勉強する方法も分からなかったためほとんど勉強せずに受けていました.結果は壊滅的とまではいきませんが,明らかに定期テストの水準より一回り低い.自分はそういう人間なんだなと思い知らされるばかりでした.そんなこんなで,大学のことなんてほとんど考えずに過ぎゆくままに学生生活を送っていました.たぶん高校1年生の頃からあったと思いますが,「進路調査」などと称して自分の志望する大学を紙に書くイベントがあったので,それには地元の国立大学を書いておきました.自分がどこの大学を受けるかなど本当に興味がありませんでした.

なんで最終的に東大なんか受験することになったかといえば,完全に成り行きでした.自分は最後まで,あの東大なんて滅相もない,という感覚を持っていて,結果的にはやはり入れませんでしたが,自分の実力は東大を志望するレベルにはあったようです.自分よりもテストの成績が悪いであろう人たちが難易度の高い大学を志望している中,地元の大学を志望を書いていた私(たぶん,もっと上のレベルの学校書いてもいいんか?とは思ってたと思う)は進路指導の偉い人から職員室で君は東大目指しなさいとか言われると,やっぱいけるよな?という気分になってそのまま「東京大学」ととりあえず書くことになってしまった.2年の夏くらいでしょうか,そこから自分は東大と思うようになったんだと思います.なんて簡単なことでしょうか.とはいえ具体的に東大の過去問を勉強したりセンター試験などの勉強は全くせず,本格的にヤバイと思って取り組みだしたのは部活を引退する三年の6月くらいだったかと思います.この「ヤバイ」という感覚こそが自分の原動力なんだなあというのは,大学生になった今も日々感じています.こっからは与えられた問題集を解いたりしてました.(フォーカスゴールドとかいう分厚いものや名門の森とか)といっても自分は一日8時間とか勉強する集中力はなく,それに,なんやかんや昼寝やスマホいじりなどしてあまり効率の良い勉強をしてはいなかったと思います.後に,結局一冊も問題集を終えることなく受験を迎えることになります.東大と決めてしまったが最後,勉強せざるを得ない状況に置かれた私は一応毎日勉強しました.

東大や京大などは駿台河合塾代ゼミが専用の模試をやっているので,それを受けましたが最終的に募集1100人に対し1200番くらいの成績にはなったと思います.これはいけるんじゃ...そういう気持ち半分,しかし,権威に弱い私はやはり「あの」東大に勝てるわけないんじゃないかという不安が大きかったと思います.

1月センター.手ごたえあり,自己採点を翌日朝にみんなでやりました.結果はセンターリサーチ余裕のA判定.つかの間の喜びである.東大は確か素点900を110に圧縮なのでほぼアドバンテージはなし.とはいえ相当喜んでいたことでしょう.あと1か月.ここから過去問月間に入る.前述の通り.25か年を国語,数学,理科,英語の順に時間を計って解く儀式を開始.こと時点で不安は解消することはなかったと思います.

二月模試.いつもの成績でした.とはいえ,やらねばならぬという義務感に突き動かされ過去問の儀式を続行.最新版を解き終えたのは本当に前々日位だったと思います.もっと余裕もってやれよと.

2月本番.リュックいっぱいに赤本を詰め込んで上京.これは最大の愚行だったと思う.本当に重かった.宿は東京ドーム近くの受験生がいっぱい泊まるホテル.朝食はスクランブルエッグがまずかった.歩いて東大へ.高級そうな制服を着て登校する小学生達がとても賢そうだった.地上に出てくる地下鉄を初めてみた.結構坂が多い.正門前には受験産業の人たちがたくさんおりのぼりを立てたり,色々配るなどしていた.正門をくぐって銀杏並木にはいかず,左手の建物へ.国語の試験.昼食は地下の食堂で食べた.かなり混雑していたが,ものすごい孤独感を感じた.昼食後,缶コーヒーを買って散歩した.もう参考書を開く気力はなかった.数学の試験.試合終了.0完.自分は本当に弱かったのが分かった.1日目終了.それ以降はあまり覚えていないです..

 

自分は勉強してはいましたが,やはり勉強量が圧倒的に足りませんでした.量です.受験生に言いたいことがあるとすれば,参考書を試験に持っていくな,ということ.なんで受験生は勉強するのかといえばそんなことをしなくてもいいように自信をつけるためです.

悲しくなった.今日は寝ます.

 

 

現在,深夜4時...

交友関係の狭い大学生にとって長期休みほど無益なものはございません.

 

京都大学に入学してはや3年.

同世代は就職や遊びで忙しいころかと思うが,そもそもそういう情報すら入ってこない.完全に部屋から出ることをしなくなってしまった!

現在,午前4時.午後6時前早に空腹に耐えられなくなって冷蔵庫から出てきた白米と鶏肉を食べて,そこからの記憶があまりないからほんとに無駄に時間を過ごしていたんだろう.今から酒を飲む気分でもないしなあ.うーん,人生って死ぬまでの暇つぶしなんですかね?

 

この時間帯はこんなことばっかり考えてしまうのは人類共通らしいですね.これ以上出来損ないのポエムを書き散らす才能もないので,この文章を書いた理由と目的を.

 

①暇

現在,京都大学の3回生の春休みの日々をラグランジュ的に観測する日々です.(流力の教科書見て書いた)京都大学の3回生ならこの世に3000人くらいいるので特定を恐れずに平気でこんなことを言えちゃいますが,あえて言うなら理系学部です.就活は...院に進む予定ですので...

遊ぶ金も友もないしとにかく暇!理系大学生が忙しいなんてほざいたのは誰だ.少なくとも私は3回終わりの今まで勉強やレポートに追われるとかはほとんどありませんでした.その点,京都大学工学部??工学科??コースはお得かもしれませんよ.

3つ目以上が思い浮かばないのでこれが最後

なんか,これまでの大学生活を一度文章にしてみたら感傷に浸れるし,これからこの大学に入ることになる若者にとって非常に有益難ではないかという気がしたから.

「京大生 ブログ」で検索すると¥マークの透けて見える意識の高そうなブログしかなかった.意識の低いブログを作りたい. 

有り余る時間で頑張って書いてみます.この時点では絶対途中でやめると確信していますが.